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須崎恭彦先生の放射線被害のブログを読んで気付いたこと。 「ボトム・アップで、社会に影響を与えることは出来るはずです。」
2011/07/26(Tue)
私がこうしてみなとで 活動して行く事になったのには、
獣医学博士の須崎恭彦先生の一言が大きく影響しています。

須崎恭彦先生は、獣医でその上、人間の能力開発の専門家でもあります。

私が 起業セミナーを受けるために 選抜のプレゼンテーションと面接を受ける事になった、と報告をした時に、
須崎先生から、「落ちたら 私の前には今後現れないように」、と一言おっしゃいました。

そんな強力パンチを出される先生ではないので、
そうか、やる事をちゃんとやれば 起業セミナーに受かるって言う事なんだな、と
思いました。

それこそ落ちたら 努力してないと怒られる!と思い、
多分今までの中で 一番必死になって準備をしました。

結果、20数名いた中から、10名のたまご塾正1期生に選ばれました。2006年のことになります。

ここを通らなければ、NHKスペシャルにも、その本にも、そして先日のうつ病学会市民講座にも
関われる事はなかったでしょう。


数年前に 須崎先生のセミナーに参加しご挨拶したところ、
顔つきが変わって来ましたね、と褒めて頂けました。

あの時は、花◎貰った小学生みたいに嬉しかったです。

今でも 大変尊敬しています。

その須崎先生のメルマガを拝見して、なるほどと思ったので、
こちらでもご紹介させて頂こうと思います。


放射線と動物についての情報のように一見ご覧になると思いますが、

ブログをご覧になるとお判りになると思うのですが、
それだけではありません。




政治家などからのトップ・ダウンはもちろん重要なのですが、
それだけで全てカバーできるわけではありません。

そんなときは、我々が行動することで、
つまりボトム・アップで、社会に影響を与えることは出来るはずです。

大きければ動きは鈍くなりがちです。
でも、小さいからこそできることは、
沢山あるのではないでしょうか?



この文章を拝見して、なるほど、と思いました。

うつに関しても同様の事が言えると思います。

私達 うつ本人、家族、サポーターの声を集める事で
一人一人の声は小さくても 集まれば大きな声になれると言う事です。

そして その声が社会をいい方向へ変えられると言う事を
改めて須崎先生のメルマガで確認できたと思います。

そういう目でも、須崎先生の以下のメルマガ、ブログをぜひ読んで頂けたら、と思います。




━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━
■ ペットにおける放射線被害の実際について教えて下さい
─▼────────────────────────────
 最近、タイトルの様なご質問をよくいただきます。

せっかくですから、
獣医師業界でペットに対する放射線の影響について
的確なコメントが出来る、
数少ないスペシャリストをご紹介させていただきます。


お友達にも是非ご紹介下さい。
~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~



詳細はこちらから
↓↓↓

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携帯の方は ⇒こちらをご覧下さい。




※お陰様で、Twitterやメルマガで紹介後、400人程増えたようです。
まだまだ、拡散希望です。どうぞよろしくお願いいたします。
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7月2日、大阪うつ病学会市民講座にて 音無美紀子さんのお話
2011/07/19(Tue)
S 会場全体

7月2日のうつ病学会市民講演では、女優の音無美紀子さんが ご自身のうつ病になってしまったきっかけと、
それからの回復までの道のりと、今 感じていらっしゃる事を20分と言う短い時間でしたが、話して下さいました。

音無さんの次が、私が話をさせて頂く順番が次だったので、
落ち着いて伺う事ができないと思っていましたが、
お話がとても共感できる点が多く、自分の順番を忘れて聞き入ってしまいました。


今 うつ回復中の方や、ご家族の方、そして 
仕事と家事を両立させて頑張っていらっしゃる多くの女性の皆さんにも 知っていて欲しい内容だったので、
私のメモを元に 長くなりましたが まとめてみました。


S 音無さん 横1

音無さんは、38歳の時に乳がんになり、手術を受けたら その後仕事ができるだろうか?と心配もあったそうですが、  
幼稚園生の娘さんと まだまだ小さな息子さんをおいては死ねない、子供たちのために生きなければ、と
手術を受け、入院中のリハビリも 看護師さんがもうそれで充分と言っても、退院したら すぐにいろんな事が
できるように、と頑張っていらしたそうです。

退院してみると、抗がん剤を飲まなければならないし、その副作用もあるし、
何でもできると思っていたけれど、実際にはあれもできない、これもできないと
出来ない事ばかりが気になり、そして 今後の恐怖も感じていらしたのだそうです。


手術のための入院も お仕事がら、偽名を使って音無さんだと判らないようにしていたので、
退院してからも 情報交換したり 気持ちを分かち合える人がいなかった上、
家族にも、もう大丈夫!と 言っていたので、
自分の本当の気持ちを伝える事ができなくて、その半年後、頑張って一杯一杯の状態だったのが、
ポキッと折れたようになってしまった、と伺いました。

これの話を伺って、自分の事のように良く判ると思いました。
きっとこのブログを読んで下さっている皆さんの中にも 同じように感じる方がいらっしゃるのではないでしょうか?


音無さんは、 それからは、
眠れなくなり、お隣のピアノの音が大音響のように聞こえ、食べても美味しく感じられない、
得意な料理が作れない、などの症状が出てきて、一体どうしたのだろう?
病気なのか、自分が弱いのか?と 悩まれたと伺いました。


音無さんの様子をご覧になって、ご主人の村井国夫さんは、精神科を受診する事を勧めたそうですが、
これは、音無さん自身の心の問題で、病院に行って医師が治すような病気ではないと思って
病院へは行かなかったそうです。

自分の弱さが原因だ、と思ったのだそうです。

もう生きていたくない。
子供も愛おしく感じられない。
体が鉛のように重く感じられる。


この頃は、夜眠れないので、家族四人で一緒に眠る様になって、
生きていたくない、ともらす 音無さんの手をご主人はずっと握っていてくれたそうです。


それでも、死なせて欲しい、という音無さんに ご主人は、
5年生きてみようよ、そうしたら子供たちは 中学生と小学生になるんだよ、育児を楽しもうよ、と 先の楽しみを見出せるように話をしてくれたそうです。

頑張って生きてみる、とその気になっても、

数日すると、それでも やっぱりダメ!だと言う日が来て、
「君がいなかったら、僕もいないよ。」
「三年頑張ってみようよ。」

三年なら頑張れそうだと、自分に言い聞かせ、また頑張ってみても、
やっぱりダメだと言う日がまたやって来ると、
今度は、ご主人は、「判った、1年でいいよ。 
その間に育児を覚えるから、その間に1から10まで教えてほしい。」と 言ってくれた時に、
1年ならどうにか頑張れそう、頑張ってみよう、とようやく思えたそうです。


その頃、
それまでは、乳がんの傷を見られたくなくて、子供さんとお風呂に入っていなかったそうですが、ご主人がいない日に、覚悟をして子供さん達とお風呂に入った日があったそうです。

小学校1年生の娘さんが、傷を見てはいけないと思ったのか、音無さんの顔をずっと見ていたそうです。

そんな娘さんの気づかいが嬉しくて、思わず泣いてしまったら、
「オッパイは、また生えてくるから大丈夫!」と、
娘さんの乳歯が抜けた時に、周りの人から言われると同じように、
音無さんに向かって言ってくれた時に、

この子を残しては死ねない、どうしても生きて行かなければ、と心から思えたのだそうです。
お話を伺って、音無さんの回復には、これがとても大きなきっかけとなったように 感じました。


でも、その後も 一直線に良くなられた訳ではなかったそうですが、
こんな事もあって、少しずつ ご自身が変わって行ったのだそうです。

娘さんから、お友達のお母さんは、いつも笑顔でいるのに、
ママはどうして笑わないの? ママも笑って。と言われた日があったそうです。

その日まで、鏡すら見る事がなかったのに、娘さんのために いい笑顔ができるようになろうと練習を始めたのだそうです。


S S 音無さん 笑顔2
娘さんが、ママ、可愛い!と言ってくれて、と嬉しそうに話して下さった時の音無さん。



そうしたら、今度は、口紅もつけてみようかな、と思えるようになって、つけてみると、
また娘さんが、 ママ、可愛い! とっても似合うわよ、と褒めてくれて、

だんだんと、美容院に行ってみようかな、おしゃれをしてみようかな、と言う気分に
なって行ったのだと伺いました。

夏休みになって、
一緒にお料理を作ってみたいと言う娘さんのリクエストに、
目玉焼きを一緒に作る事になった日があったそうです。
卵がきれいに割れるかどうかさえ 自信がなくなっていたのに、
その卵がちょうど きれいに割れて、美味しい目玉焼きが出来て、
その日の事を、ママとお料理をしました、と娘さんが絵日記に描けた事が嬉しかった。

そして おむすびを握ると、娘さんは三角にはにぎれないのに、
音無さんがきれいな三角のおむすびを 握ると、ママは凄い!と褒めてくれたのだそうです。



こうやって小さな喜びがあって、一歩一歩、良くなって行って、今の健康な音無さんに
回復なさったのだそうです。

死にたい、生きていても仕方ないと思った事があったけれど、
あの時、死ななくて良かった!と ここまで来られました、と素晴らしい笑顔で聞かせて下さいました。

回復なさった方は、皆さん、あの時死ななくて良かった、諦めなくて良かった、と
おっしゃいます。
私も、今振り返ると、本当に諦めなかったから、こうしていられるんだな、と思います。 
音無さんのお話を伺って とても共感しました。


家族がいてくれて本当に有難かった。
生きると言う事が どんなに素晴らしい事か、
生き抜くと言う事が どんなに誇りか、と 聞かせて下さいました。

世の中には うつへの 深い理解がまだ足りないし、偏見もあるけれど、
一人でも多くの方に、うつ、うつ病の事を理解してもらって、
今 うつで悩んでいる多くの方々を支えられるような 社会になったらいいと思うと、
最後に話していらっしゃいました。


現在の穏やかな笑顔の音無さんからは 死にたいと何度も思ったと言う事が
想像できませんが、
その当時の音無さんが どんなに辛い気持ちでいらっしゃったか、お話を伺ってとても良く判りました。


講演会が始まる前の 控室での打ち合わせの時は、
さすがの音無さんも、緊張なさっていらっしゃる様子で、ご挨拶しかできませんでしたが、 
講演会が終わった後は、気さくに写真を撮りましょうと声をかけて下さったり、
テレビで拝見する、とても柔らかな優しい雰囲気で、ますますファンになりました。

お別れする時に、夫と私に向かって、再発にはお互いに気をつけましょうよね、と
声をかけて下さって、お互いに笑い合いました。

音無さんにも 大変な経験を越えていらした強さが感じられて、
その大変な日々を 今に活かして生きていらっしゃるのだな、と感じました。

これを読んで下さった方の中には、
音無さんの話が、出来すぎ、そんな夢みたいな事がある訳ない、と思う、うつ回復中の方がたくさんいらっしゃるかと思います。


決して夢ではないと思います。



うつが良くなって、回復なさった方々には、その人数だけの 良くなって行ったそのきっかけがあったはずです。



そのきっかけに早く出逢うためにも、 こんな辛さは誰にも判らない、と言ってしまわずに、家族や、
周りの人たちの力も借りて、音無さんのおっしゃっていらした小さな一歩一歩を大切に 「今日」を送って頂きたいなと お話を伺いながら思いました。

最後に余談になりますが、
音無さんの手は とても素敵なダイヤの指輪が光っていて、爪もきれいで、さすが女優さんだと思いましたが、
ご家族のためにお食事を作ったり、家事もなさっていらっしゃる手だとも 隣に座っていてお見受けしました。

家族がいて良かった、と思ったと話していらっしゃいましたが、
そのご家族との生活をとても大切に今生きていらっしゃる様子が、
短い時間でしたが、ご一緒させて頂いて とても伝わって来ました。

私の一生で 音無さんのお隣に約2時間も居るなんて、本当に思った事もないことでしたが、
女優としてのオーラと、ご家族を大切になさっている人生の先輩としての一面を間近に感じる事のできた
貴重な体験でした。




いつか音無さんを みなとにお招きして、お話にして下さる機会を持てたらこんなに嬉しい事はありません。
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大阪の翌日は、いざ鎌倉! 紫陽花の長谷寺と成就時 その2
2011/07/12(Tue)
S 20110703  鎌倉長谷寺
長谷寺には 紫陽花の他にもいろんな花に出逢えます。 Ryuki Photo 


長谷寺を後にして、鎌倉駅まで歩いて向かうと、
ゆっくり歩いても 寄り道具合にもよりますが、40分から1時間強でしょうか。

バス通りよりも、一本住宅街を歩く方が鎌倉らしさを味わえるように思います。


しばらく行っていなかったうちに新しいお店がたくさん出来ていて、
驚きました。

でも今日は ここに行く!と決めていた小さな小さなパン屋さんへ。
ジャックと豆の木と言う畳1枚ほどのスペースしかないお店なんですが、
とっても美味しいパンが きれいに並べられています。

今日は、バナナケーキと シラスのピザ。

ここのご主人が素敵な方なのですよ。
憧れています。



S 20110703 鎌倉 犬
むくむくの犬を発見。 なんともいい表情です。   Ryuki Photo



そして 今日は久しぶりなので バス通りを通って駅に向かってくると、
以前は何だったのか思い出せないのですが、素敵なおうちが一軒建っていて、
そこに なんとも愛嬌のある大きな犬が、涼しい所を選んで お昼寝していました。

思わず近寄って、写真を撮ってしまいました。


歩いていると、花や、建物や、美味しい物や、犬とも出逢いがあるのです。


ずっと慣れない講演会の準備に、緊張も重なり、
終わってもう1週間が過ぎたと言うのに、まだちょっとボーっとしています。


でも鎌倉に行ったのは正解でした。

歩き回って、体を疲れさせたので ぐっすり寝られたので、
次の日からは いつものように出勤しています。


これから 遅ればせながら、講演会でお世話になった方々にご挨拶のメールをお送りして、
そして 音無さんのお話を伺った時に思ったことなど
ブログに書こう、とやっと思えて来ました。


やはり、体と心のバランスを取るって言う事が大切なんだな、と
鎌倉に行って感じました。


鎌倉から遠くにお住まいの皆さんには、
あまりお役にたつ内容ではなかったかも知れませんが、

皆さんのお住まいの近くにある ホッと出来るところを捜して
ぜひ歩いてごらんになってみてください。


きっと 頭の疲れや、心の疲れが取れると思いますよ。


自然は偉大です。








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大阪の翌日は いざ鎌倉へ! 紫陽花の長谷寺と成就時
2011/07/10(Sun)
S 20110703 鎌倉江ノ電
極楽寺から江ノ電を。        Ryuki Photo


2日の大阪での講演会は、日帰りだったので、朝11時過ぎののぞみに乗り、その日の夜中にうちに着きました。

多分10数年ぶりの大阪だったので ゆっくりして来たいと思わなくもありませんでしたが、
犬三匹が気にかかり、今回は日帰りとしました。

帰りのタクシーの中から ライトアップされた大阪城を見て とても開放的な気分になり、
そして 緊張が解けたのか 心地よい疲労感に包まれました。

2日の大役が済んだら、ずっと行っていなかった鎌倉に絶対に行く!と決めていました。
私がうつだった時には、月に多い時は2,3回は一人でも出かけていたのに、
最近は 年に何回しか行く機会に恵まれなくて、
今回は、大阪での講演会が終わったら、「鎌倉行き」と言うニンジンを自分でぶら下げていました。


3日の鎌倉は、紫陽花のシーズン後半でしたが、それでも多くの人が訪れていました。

いつもなら、神社仏閣はスキップして、感じの良さそうなカフェや、美味しいパン屋さんや、
ケーキ屋さんを気の向くままに歩いて探し出すのが 楽しみなのですが、

この日は さすがに早くは起きられず、
2時過ぎに鎌倉駅に着いたので、今回は、今年の紫陽花を愛でに行こうと決め、
江ノ電に乗って、成就院へまず行き、その後歩いて 長谷寺に向かいました。

成就院、お勧めです!
極楽寺から 歩いてすぐです。 残念ながら 紫陽花の花はだいぶ満開を過ぎていましたが、
遠くに海も見えて とてもリラックスできました。





S 20110703  紫陽花 鎌倉
「鎌倉」と言う名の紫陽花               Ryuki Photo


そして ゆっくりと歩いて長谷寺へ。

こちらも 満開のころと比べると だいぶ寂しく感じもしますが、
その分 人出は少なく、ゆっくり歩いて回る事が出来ました。

紫陽花にはいろいろな名前が付けられているのですね。

このブログには、一遍には3つ以上写真が載せられないようなのですが、
花散歩・境内の花々と言うのがちょうどアップされていましたので、
⇒どうぞこちらをご覧ください。

風もとても気持ち良く、なんだかとっても遠くに来た気分になりました。
遠くまで来たような非日常を感じられるのが、鎌倉のいい所だと思います。


お庭の中には、洞窟のような所があって、異空間。タイムスリップして昔に来たような気分になります。




S 0110703 鎌倉長谷寺 お地蔵さん
長谷寺のお地蔵さん       Ryuki Photo

洞窟を出てくると、目についたのがこのお地蔵さん。
なんとも ホッとするような笑顔です。

時間にしたら、鎌倉駅についてから、2時間ちょっとの行程ですが、
鎌倉の空気なのか、風なのか、毎日浴びているパソコンの電磁波が放電されて行くような、
とてもすっきりした気分になれました。


ここで今日は、鎌倉駅に歩いて向かいます。

鎌倉は 知らず知らずに自然と歩けてしまえるのも、魅力です。

歩くのが面倒だとか、歩くのが苦手と言う方は、
涼しい日を選んで、地図片手に歩いてみると、歩くって結構楽しい!と言うのを
感じられると思います。

一人で歩いていても、
道に迷っていても、こちらがSOSを出さなければ、
ほっておいてくれるのが、鎌倉のいい所です。

一人でどこに行こうかな、と思ったら、
まず 鎌倉を目指して電車に乗る、というのもいいかも知れません。


私は うつの時によく自分が何をしたいのか判らない時がありましたが、
そういう時、とりあえず鎌倉駅まで行って、
行き先も決めずに しばらく歩く、と言うのをやってました。

歩いているうちに 疲れているんだと判れば、コーヒー一杯飲んで帰って来るし、
歩き出して、もっと歩きたいと思えたら、気の向くまま 新しい発見を捜して
時間の許す限り、歩いていました。

鎌倉ウォーキング、お勧めです。

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講演会 ハートフォーラム「うつ病と躁うつ病を知る」が大阪、神戸、東京で行われます。
2011/07/06(Wed)
201107 ポスター うつ病とそううつ病を知る

2日に伺った国際交流センターで、発声練習をするために外に出て 歩き回っていた時に見つけたポスターです。


これから、大阪、神戸、東京都、あと一か所、読めないのですが・・、あちこちで開かれるようです。

大阪では、7月10日に行われます。

神戸では、8月5日に、

そして 東京では10月21日に行われる予定とか。残念ながら 東京の情報はまだ出ていないのか見つかりません。
判ったらまた こちらに掲載致します。


必要となさっている方にこの情報をお渡し下さい(*^_^*)
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7月2日、大阪でのうつ病学会市民講座で無事お話をさせて頂いて参りました。 ご来場頂いた皆さま, 応援して下さった皆さまありがとうございました。
2011/07/05(Tue)
S 大阪市民講座 最初
生まれて初めての1000名の会場で。



S 20110702 大阪市民講座 3人横
講演会が終わった後に。 
ブログにお写真載せてもいいですか?と伺ったら、多くの人に知ってもらいたいものね、いいわよ、と
気さくにOKして下さった音無美紀子さんと夫と。



7月2日の夕方から開催されたうつ病学会市民講座に伺って参りました。

最初に依頼のメールを頂いたのは2月頃でしたが、それからやりとりが始まり、
講演内容も詰めたり、担当して下さった小嶋さんとメールでのやりとりが、
ファイルに一杯になっていました。

当日は11時20分の新幹線に乗り、
大阪国際交流センターに向かいました。

久々の大阪でしたが、楽しむ余裕もなく
会場へ直行。

すぐにカフェに入り 最終準備に取り組みました。
私が 話すのに頂いた時間は20分間。

「あの時、諦めなくて良かった!」と言う題で
長かった夫のうつ回復への6年以上の間に起こった我が家の危機なども含め、
うつの家族の会 みなとを始めて気が付いた事など、エッセンスをまとめました。

開始時間の45分前から 打ち合わせが始まり、
凄い緊張感の中、多くの方と名刺交換が始まり、この時初めて音無美紀子さんとも初めてお目にかかりました。

本当にきれいな方です。


私が生きている間に、音無美紀子さんと同じ講演会に出て、
同じ壇上でお話する機会に恵まれるとは 本当に0.0001%思ってもいなかった事です。

応援して下さる多くの皆さまに
ここまで引っ張って貰えた、と本当に感謝しています。


そして、
以前なら 考えられなかった程の事ですが、
私が 大阪まで行って お話するなんてあり得ない、とお断りせず
光栄な機会を 有難く活かそうと思えた自分の勇気にも
変われば、人間変われる物だなと、他人事のように感心しています。

私にとっては とても大きなチャレンジで
2週間前位からは、当日話す内容がこれでいいのか?
もっと変えた方がいいのでは?と
いつも頭の中から離れなくなり、
背中や、肩が痛くなり、当日まで持つかと不安になりましたが、
どうにか無事に終えられて、
自信に繋がりました。


これから数回にわたって、
この日に感じた事をお伝えしたいと思います。


応援して下さった皆さま、
本当にありがとうございました。




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